通っていた中学校にはスクールカウンセラーの方がいて、先生に「カウンセリングを受けることもできますよ」と教えてもらいました。
ほんとうに藁にもすがる思いでいたので、さっそく受けてみることに。
穏やかな若い女性の方でした。
結果から言うと、当時のわたしの心構えが少しズレていたからだと思うんだけど、余計苦しくなってしまったのです。
答えを教えてくれるわけではない
勝手な思い込みだったのだけど、わたしは、「不登校になったのは、こういうことが原因で、こうしてあげれば学校に行くようになりますよ。」的なことをアドバイスしてくれるものと思っていました。
不登校や子供の心を何も知らない、ただの常識人間だったんだと、今ではそう思います。
でも、そういう人が大半じゃないかなって思うんです。少なくともわたしの周りでは。
中には、本人がカウンセリング受けないで、なんで親がそんなことするんだ、という人もいました。
本人が受けないと意味がないだろ、という考えでした。
わたしは自分が楽になりたかったのです。子供がまた学校へ普通に行くようになれば、わたしは悩みから解放されて楽になれる。だから早く息子を学校へ行けるようにしてくれ。
早く答えを教えてくれ。そう思っていました。
追い込まれて、元気もやる気もない。そんなお母さんが傍にいて、元気になれる子供がいるはずないですよね。
周りが変われば子供も変わる。これを受け入れるまでには相当時間がかかりました。
進歩がなく、カウンセリングが苦痛に
当時月に1回くらいのペースで学校へ足を運び、カウンセリングを受けていました。
毎回「最近はどうですか?」と聞かれると、なぜかいい感じなことを言ってしまうのです。
わたしは頑張ってるよ、ちゃんと努力してるんだよ、とアピールしてるかのようでした。
実際はわたし自身の生活ペースが乱れていたり、生き生きした顔も暮らしもしていなかったのに、カウンセリングの場ではそれを隠して、自分をよく見せようとしていたような気がします。
子供のために自分が変わらなきゃ!なんて思いは頭の片隅にはあるものの、やっぱり自分がいちばん可愛くて、自分を守ることがいちばんになっていたんだな。
いったいなんのためのカウンセリングなんだ…自分が本当に嫌になりました。
そしてついに、カウンセリング中に号泣してしまい、「わたしとお話するのが辛かったら、無理に続けられなくてもいいですよ」と言われ、それ以降カウンセリングには行きませんでした。
カウンセラーさんが悪いのではなく、わたしがカウンセリングを受ける意味をまったく理解していなかったのです。
後からわかることもある
せっかくの機会を活かすことができなかったけど、そこで受け取った言葉は、後々思い出したり、本当に時間が経ってから「こういうことだったのか」と腑に落ちることもありました。
今ではよい経験をさせてもらったな、と感謝しています。
その場で結果が出なくても、経験は蓄積されるんだ、と実感しています。
焦らずに、振り返れば一歩一歩進んできたことがわかりますから。
では、またね。
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