離婚して初めての住まいは、家賃13,000円の町営住宅でした。収入によるんですけどね。たぶん最低ラインでした。
(写真はイメージですが、まさにこんな感じでした。)
すっごく古くて、トイレはぼっとん、お風呂は土間に浴槽がポンと置かれただけ。
居間の畳と壁の隙間からお風呂が覗けちゃう。だからムカデもコオロギもいつでもウエルカム。
わたしは好きで家を出てきたわけだから何ともなかったけど、ついてきてくれた子供たちは正直嫌だっただろうな。
当時のわたしの仕事は、障がい者支援施設の事務員。月給は手取りで13万円ほど。ボーナスは給与の1か月分。
わたしの年収ではこれが妥当だと、ここに3年ほど暮らしていました。
第一の転機 転職
離婚してからしばらく引きこもりのような生活(仕事は行けてましたが)を続けてきたけど、中学からの友達が久しぶりに女子会を開いてくれました。
その後も何度か誘ってくれて、ようやく気持ちが上向きになったころ、転機が訪れました。
「うちの会社、経理の人が急に亡くなって、探してるんだけど、どお?」
わたしは結婚前、新卒でこの友達が務める会社で経理をしていたのです。でもはるか20年も前のこと。
むちゃくちゃ長いブランクと、いろんな意味での出戻り。
まだまだ年功序列みたいなとこがある会社なので、年齢である程度給与が決まってるそう。歳だけは取っていたのでざっと見積もると現職より10万円ほど月収が上がる。
目先の金に心を奪われて、その時はあまり深く考えずに転職を決意。
この転職、結果的にはとてもいい決断だったんだけど、それまでにはいろんなことがありまして。
それはまた別の「仕事のこと」で書きます。
んで、何とか採用していただき、無事に経理として転職することができました。
43歳の夏でした。
第二の転機 引越し
13,000円町営住宅から娘を仙台の大学へ送り出し、転職のおかげで少しはゆとりが出てきたとき、ふと引っ越したいな。。。と浮かんだのでした。
高校生だった娘は成人式をこの町営住宅で迎え、不登校の息子も中学を卒業することができた、そんなときでした。
仕事は大変でしたが収入は安定していて、この状態が定年まで続くことを疑いもせず、職場と実家に近い隣町で内見を申し込んでみました。
この町はアパートが少なく、家賃もお高め。それでも部屋を見るなり町営住宅との差に一瞬で心を奪われ、3棟ほど見たところで引越しを決意してしまいました。。
そこは2DKの小綺麗なアパートでした。家賃は共益費込みで6万9千円。一気に5倍以上のお部屋にグレードアップ。
でもこれが、よりよい暮らしを自分の力で手に入れていくんだという、いい気持ちの方向に舵をきれたきっかけになりました。
そして娘の大学卒業&就職で、学費や仕送りの大きな出費も卒業。
ますますこれからは自分の人生を考えなければ、と思い始めたときでした。
第三の転機 実家破損
子供にかかる教育費や生活費が減ったことで、少しづつ自分や親の将来を考えるようになりました。
- まったく貯金できていなかったから、これから急いで貯めなきゃ。
- 実家はボロボロだからリフォームしなきゃ。
- 母親も高齢だし、いつまでも一人にはしておけないな。アパートの家賃も高いし。
次から次へ考えることが沸いてくるけど、何も実行できず。。。
そんなとき、うまい具合に(?)転機が訪れました。
実家にお向いさんが軽トラで突っ込んできて、外壁が凹んだのです。家の中から見ても壁にひび割れができていました。
幸い誰も怪我することもなく、壁も隙間風が入ることもない程度で、お相手の保険で修理してもらえることになりました。
保険を受け取る手続きのために、知り合いの大工さんに修理の見積もりをしてもらいました。
ちょっと覚えてないけど20万円ちょいだったと思います。
この古い家にお金をかけて修理するくらいなら、いっそ壊して建て替えたらどうだろう?
ふと浮かんだそんな思いがきっかけで、どんどんその気になるわたし。
家が傾いてきて引き戸が開かなくなっていたり、天井が落ちて穴が開いていたり、母屋の裏には蔵があって外壁が崩れて落ちてきてるから危険だし、いつかやらなきゃと思いながらもスルーしてきたことも一気に押し寄せてきて、真剣に建て替えを考えるきっかけになりました。
今思えば、こんなことでもなかったら、家を建て替えるなんて考えは浮かばなかったかもしれません。
ありがとう。軽トラぶつけてくれて。
ありがとう。わたしを動かしてくれて。
こうしていくつもの転機を経て、家を建てることへ導かれていったのです。
しかし現実は、困難がたくさん待ち構えていました。続きはまた。。
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