過去の自分を振り返ってみると、何かを決断したり、どちらかを選ぶとき、確実に「他人からどう見られるか」が基準になっていた。
言うことを聞いておかないと、失敗したときに「ほら、言わんこっちゃない」と突き放す人。
言うことを聞くまで邪魔や攻撃を加えてくる人。
心配という都合のいい建前で、怒りをぶつけてくる人。
こういう人は身近にも普通にいる。こういう攻撃を受け続けていると、だんだん自分の意思を持つのが悪だという気持ちになってくる。
そして疲れ果て、言いなりになることで自分を守ろうとする。
怖いのは、それが「普通」になり、自分の意思がもはやないことが当たり前になっていく。
おかれた環境とは怖いものだ。
否定されることへの恐怖で、考えることを止めてしまい、言う前に諦め、それはすべて他人のせいだと思っている自分が出来上がっていた。
一転して決断の連続の立場へ
離婚して一人になってみると、自由になった分、いろんなことを自分で決断しなければならない場面が増えた。
なんせ20年も思考停止していたから、最初はなーんにも決められない。
ていうか、最初はまだ呪縛から逃れられていなくて、自由に決めていいはずなのに、なぜか万人受けしないといけないような気持ちになって、そこには自分はまだなかった。
転職や家づくりなど、大きな決断もしてきて少しずつ耐性ができてきた感はあるけど、当時はまだ完全に吹っ切れていなかった。
そう、自分の決断に自信が持てないのだ。
人生は小さな選択の積み重ね
とはいえ人生の時間はどんどん流れ、無意識にいろんな選択をしている。
その小さな選択の積み重ねで人の一生は創られていくんだな。
ときには「しまったー!」と焦ることもあるけど、だいたいはそのように流れていくもんだ。
やっぱり自分らしく生きようと思ったら、この小さな分かれ道を自分で選ぶことがいちばん大事かなって思う。
人にどう思われるかを考えて選んだもので成功しても、なんだか寂しいものだ。
しかもこれって、何度もひとりで決めることを続けていると慣れてくるというか、自分は何が好きなのか、どうなりたいのか見えてくるんだよね。
わたしはそれがめちゃくちゃ嬉しい。
自分で生きてるって感じがいいのだ。
自分の人生を創る
これって本当に幸せなことだな~と思うの。
たまには間違えちゃうこともあると思うけど、そこは方向転換をまた決断すればよくないかな。
そうやって自分が通ってきた道が、振り返ってみたら「なかなかやん!」って思えたらいいね。
今日も小さな分かれ道を選んで進んでまいりました。
明日もいい日でありますように。
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